「ONE SHOT ONE KILL」ネパールの地元紙「カンティプール」に、大きく取り上げられました!
第七回カトマンズ国際山岳映画祭のコンペ作品に「ONE SHOT ONE KILL」が選ばれ、12月7日から14日まで、ネパールへ行ってきました。
上映作品は59作品、うちコンペ作品が19作品。
地元ネパール以外に、ドイツ、アメリカ、イギリス、ブルガリア、ニュージーランド、オーストリア、インド、オランダ、フランス、アフガニスタン、フィンランドなど、26カ国の映画が上映されました。
「山岳映画祭なのに、なぜアメリカ軍の映画なの?」と思われるかもしれませんが、「山」とか「環境」のことを考えることは、すべてに繋がるのだそうで、「all categories=すべての分野」の作品のエントリーを受け付けています。
とは言え、登山や山に暮らす人々の映画が多い中、「ONE SHOT ONE KILL」は、やはり異彩を放っていました。作品選定委員会の二人の若い映画作家が、「この映画は、すごい」と、強力に推してくれたのだそうで、若い感性の作家が、気に入ってくれたことは嬉しいことです。
シェルパの映画のときは、シェルパの人たちが沢山やってきて、チベット人のお坊さんの映画のときは、チベット人がいっぱい。ネパールは多様性の国だと実感します。
←エベレストに14回(!)登ったと言うシェルパのロング・ドルジさんと。
「ONE SHOT ONE KILL」の上映は、映画祭4日目の12月13日(日)。
「とても素晴らしい題材なのに、なんでこんな下手な作りしかできないのか?」といった質問まで出る、大変ストレートなネパールの観客たちに、この映画がどう受け止められるのか、初の国際上映は、やはりとても緊張しました。
観客は70~80人。
新兵たちの奇妙な訓練の様に笑いも出たり、「マリン・コー、マリン・コー」と兵士の掛け声を真似る人がいたり、観客が映画に集中しているのがわかります。
終わっての質問は「なんでこんな映画を撮ったのか」「あなた自身は、撮影しながら訓練の影響を受けたか」「ドロップアウトする人はいないのか」「なぜ、軍隊に入るのか」といったもので、「どうやって撮ったのか?」と、あちこちで聞かれました。
「とてもよかった」と幾人かに握手を求められ、初めてホッとしました。「すごい映画を持ってきてくれてありがとう」と主催者の方にも言っていただき、嬉しかったです。「日本語の勉強をしている」という若者には、サインを求められましたが、慣れないので、少々気恥ずかしいものでした。
受賞作品は順当に、エベレスト登山隊のために働いているシェルパの仕事と生活を描いた「Sherpas-the true heroes of mount Everest」(ネパール映画、面白い!)をはじめ、山の映画たちでしたが、ネパールの出稼ぎ者を描いた「In search of the Riyal」なども、とても印象に残りました。
カトマンズ滞在中、イラクやアフガニスタンに出稼ぎに行った人たちの話も聞くことができ、戦争と軍隊を支える国際的な貧困と格差の構造を垣間見ることができました。
望外に嬉しかったことは、地元の最大紙「カンティプール」(発行部数25万部)に「ONE SHOT ONE KILL」が大きく取り上げられた事でした(写真上)。(宿泊先のホテルの従業員や親しくなった地元商店街の皆さんにも「載ってるよ~!」声を掛けられました)
以下が、記事の内容です。
私たちの思いが、きちんと伝わっていると実感しました。
(カンティプール紙2009年12月14日)
【アメリカ軍を見る日本の眼差し】
イラクやアフガニスタンで、戦争が繰り広げられる最中に、誰がアメリカ軍に入ることを願うだろうか。戦場へ行こうと誰が思うだろうか。そう願う者たちが居る。
最も驚くべきことは、入隊する列に並ぶ彼らが、やっと高校を卒業したばかりの青年たちだと言うことだ。なぜなのか。
日本の映画監督・藤本幸久が、これを「ONE SHOT ONE KILL」という映画にした。
カトマンズで開催中の国際山岳映画祭で、「ONE SHOT ONE KILL」は、4日目に上映され、入隊する若者たちの胸の内を描いている。
映画は、米海兵隊ブートキャンプに若者たちが到着するところから始まる。高校を卒業したばかりの若者たちは、厳しい訓練の中、自分たちの思いを少しずつ歪められ、自らの自由な考えや発想を、徐々に奪われてゆく。そして、上官の言うことにすべて従うようになってゆく。まるで機械のように。
それでも「訓練を楽しんでいる」と一人の青年が言う。「楽しんでいる」と。
海兵隊の12週間の訓練を描いたこの映画が、指摘するのは、とても深いものだ。
青年は、米国への愛国心のために戦場へ行くのだろうか。彼らは、テロとの戦いのために戦場へ行くのだろうか。そうではない。彼らが戦うのは、そんな気持ちからではない。貧困と限られた選択肢が、彼らをそうさせているのだ。
アメリカ軍が、貧困によって支えられていることを指摘するこの映画は、同時に、兵士の輸入・輸出の問題の重さについても、目を向ける。
映画の始まりと終わりは、とても芸術的だ。冒頭、夜空には月が光っている。そして、その月の下で青年たちが、海兵隊の訓練をしている。その青年たちが、12週間の訓練を終え、イラクやアフガニスタンに送られるとき、夜空の月も消えて、映画も終わる。
藤本監督は、戦争は何かを生産するのではなく、何かを破壊するものだということを表現したかったのだろう。アメリカ人が、どのように死んでいくのかと言う事を外の世界へ知らせたことが、藤本監督の最大の成功である。
「日本の米軍基地の中にも、たくさんの若い兵士たちが居る。」108分の映画の終わった後、プロデューサーの影山あさ子が語った。なぜ、このようなことが起こるのか-そんな思いがこの映画には込められている。
アメリカ(人)が殺される、とても痛ましい景色の後、この日、映画祭では、失われてゆくブルガリアの小さな村の話をLlian Metevが監督した「Goleshovo」が上映され、他にマナスルを探検するCarsten Maaz監督の「マナスル・エクスペディション」、インドのクマウという場所で自らの文化を守ろうとしている人びとの姿を描いたChinmaya Dunster監督の「Smiles from off the road in the Himalayas」などが上映された。
【名前はアサコ!】
「あなたの名前は、希望に満ちていますね」-そう言うと日本の青年(ママ)・影山あさ子は、とても嬉しそうだった。
(影山註:ネパール語で、アサは、「HOPE(希望)」という意味で、アサコと続くと、with hopeになるのだそうだ)
日曜日の朝、彼女の作ったドキュメンタリー映画「ONE SHOT ONE KILL」の上映前にタメルのマンダップホテルで話を聞いた。
日本の札幌と言う都市に住んでいるアサコは、ドキュメンタリー映画製作を仕事としている。農学修士号を持つアサコは、KIMFF(カトマンズ国際山岳映画祭)に、初めて自分の作品を持ってきた。
「私がネパールについて知っているのは、二つのこと-と彼女は、日本訛りの英語で話す-山とマオイスト」だと。でも、カトマンズがこれほど忙しい街だということは、考えてもいなかったそうだ。米海兵隊を描く厳しい映画の前に、「アメリカばんざい」「アメリカ-戦争する国の人びと」「Marines Go Home 2008」などの映画を手がけている。
彼女によると「日本では、映画製作者は、絶滅危惧種」だそうだ。「商業ベースは、いざ知らず、私たちのようなドキュメンタリーの自主制作は、かなり厳しいです」「日本には、いまだにたくさんの米軍基地があり、世界中に影響を与えていますが、そんな状況の中に、私たちのドキュメンタリー映画作りもあります」と語った。