オスプレイがやってきた。力ずくの沖縄配備から見えてくるのは、フクシマと同じ犠牲のシステムだ。
住宅や学校と隣接し、「世界で最も危険な基地」とラムズフェルド国防長官(当時)が認めた米海兵隊普天間基地(宜野湾市)。滑走路にされる前は、家があり、畑があり、祖先の墓があり、集落があった場所で、現在も92%が民有地である。日本への復帰により、米軍基地は、日本政府による提供区域と呼ばれるようになるが、40年経った今も基地は減らず、米軍による事件、事故もあとを絶たない。
1995年、米海兵隊員3人による小学生の少女暴行事件をきっかけに爆発した沖縄の怒りを前に、日米政府は普天間基地を閉鎖することに合意した。が、それは、名護市辺野古の海を埋め立て、代替基地をつくることと引換だった。
辺野古の海は、天然記念物のジュゴンもやってくる美しいサンゴの海だ。沖縄防衛局がボーリング調査に着手した2004年、住民たちは連日、夜明け前からカヌーで海に出て、作業を止め続けていた。
日米政府の新基地建設の最初の合意から15年が経つが、辺野古の海には、まだ一本の杭も打たれていない。辺野古の浜と海とに座り続け、抵抗を続けてきた人たち、新たな基地を望まない沖縄県民がいるからだ。
東村・高江のある本島北部、やんばるの森は、天然記念物のノグチゲラやヤンバルクイナも棲む自然の宝庫。その森に米軍の北部訓練場はある。海兵隊がヘリを飛ばし、サバイバル訓練やゲリラ戦の訓練をし、次の戦場に向けて準備をする場所だ。
辺野古への新基地建設同様、北部訓練場も、返還予定地にあるヘリパッドを移設するという条件付きで、7800ヘクタールの訓練場の過半(約51%)を返還すると日米政府は合意した。人口160人の集落・高江を囲むように、米軍のヘリパッドを新たに6箇所つくるという。2007年に工事が始まったが、住民たちは座り込みを続け、工事を止め続けている。
15年の間に明らかになったことは、辺野古の新基地も、高江のヘリパッドも、すべては、米海兵隊の新型輸送機オスプレイを配備するためだった、ということだ。爆風も爆音も従来を上回るオスプレイは、開発以来、7件の墜落事故で36名が死亡している危険な飛行機。普天間に配備されれば、沖縄中の空を飛ぶことになる。
県議会も、沖縄県の全市町村も反対決議を上げ、10万3千人の市民が県民大会に集まり、文字通り、沖縄県民の総意としてNOの意思を示す中、2012年10月、オスプレイがやってきた。体を張って、普天間基地の全てのゲートを封鎖する人びと。その多くが、女性や65歳以上の年配者だ。2日間にわたって、普天間基地の機能が止まった。日本政府の命を受け、沖縄県警・機動隊員200名が、深夜までかかって座り込む人たちを排除した。
その翌朝、オスプレイがやってきた。
今、オスプレイは140万の沖縄県民の頭上を飛んでいる。
やがて日本本土での低空飛行訓練も始まる。
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