2011年6月10日金曜日

<原発震災・ニューズリール>でお話していただいた方々

小出裕章(こいでひろあき)さん
京都大学原子炉実験所・助教。専門は放射線計測、原子力安全。東北大学の原子核工学科在学中に原子力発電に関わる様々な問題点を知り、その後、伊方原発裁判、人形峠のウラン残土問題、JCO臨界事故などで、放射線で被害を受ける住民の側に立って活動。原子力の専門家として、そのリスクや問題点についての研究活動に精力的に取り組んできた。
著 書:「放射能汚染の現実を超えて」北斗出版 、「隠される原子力・核の真実-専門家が原発に反対するわけ」(創史社)など

★村田三郎(むらたさぶろう)さん★
内科医。阪南中央病院副院長1947年高知県で生まれ、1972年大阪大学医学部を卒業。大阪大学医学部附属病院で内科研修、同病院放射線科に勤務の後、1978年から阪南中央病院に内科医として勤務。水俣病、原爆被爆や原発労働者の被曝・労災、JCO臨界事故の裁判に関わってきた。内部被曝にも警鐘を鳴らし続けている。

今中哲二いまなか・てつじ)さん★
京都大学原子炉実験所・助教。研究課題は原子力施設がもたらす環境影響に関する研究、広島・長崎原爆による中性子線量評価に関する研究。チェルノブイリ原発事故の放射能災害研究の第一人者。「チェルノブイリ事故による放射能災害---国際共同研究報告書」を1998年にまとめ、2007年には「チェルノブイリ原発事故の実相解明への多角的アプローチ---20年を機会とする事故被害のまとめ」を編集。福島原発事故後の328日~29日、飯舘村で空中放射線および土壌の放射線調査を行い、引き続き飯舘村へ通っている。著書(共著)に「チェルノブイリ10年―大惨事がもたらしたもの」(原子力資料情報室)、「チェルノブイリ」を見つめなおすー20年後のメッセージ(原子力資料情報室)など。

河田昌東(かわだ・まさはる)さん★
1940年秋田県生まれ。2004年に名古屋大学理学部を定年退職。現在、四日市大学非常勤講師。専門は分瀬生物学、環境科学。1960年代から、四日市公害裁判や芦浜原発建設反対運動などに参加。1990年より、チェルノブイリ救援・中部の代表や理事として、原発事故被害者の救援に取り組む。1995年からは、遺伝子組み換え問題にも取り組んでいる。
チェルノブイリ救援・中部」は、チェルノブイリ原発事故で大きな被害を受けたウクライナで、現地の団体と協力して、粉ミルクを送る、医薬品や医療機器を送るなどの支援に取り組んでいる。2006年からは、さらに、土壌から放射能を除去し、農業復興による地域再生を目指す「菜の花プロジェクト」を開始。

★中手聖一(なかて・せいいち)さん★

子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク(通称:子ども福島)代表。福島市渡利地区在住。放射線の影響に不安を持つ父母らが中心となり、発足した「子ども福島」は、深刻な汚染と向き合いながら、年間20ミリシーベルトの被曝基準の撤回、避難者に対しての支援、子どもたちの被曝低減対策など、様々な活動に取り組んでいる。中手さんも妻と子供は岡山へ避難させ、単身、福島に留まりながら活動を続けている。



水口憲哉(みずぐち・けんや)さん★
東京海洋大学名誉教授、現在は千葉県いすみ市で資源維研究所主宰。専門は人と魚と水の関係学。六ヶ所村再処理工場など、原発関連施設の問題を30年以上研究・指摘し続ける。『海と魚と原子力発電所』(農文協)、『放射能がクラゲとやってくる』『これからどうなる海と大地』(七つ森書館)、『食品の放射能汚染 完全対策マニュアル』(共著・別冊宝島)など著書多数。

★松井英介(まつい・えいすけ)さん★
内科医。2001年まで岐阜大学医学部助教授。退任後、岐阜環境医学研究所所長。「内部被曝学会」設立に向けて奮闘中。著書に『見えない恐怖 放射線内部被曝』(旬報社)



<原発震災・ニューズリール>スタッフ
監督●藤本幸久(ふじもと・ゆきひさ)
1954年、三重県四日市市生まれ。北海道を拠点にドキュメンタリー映画を製作。主な作品に、「闇を掘る」、「Marines Go Home」、「アメリカばんざい-crazy as usual」、「One Shot One Kill」、「アメリカ-戦争する国の人びと」。
インタビュアー/プロデューサー●影山あさ子(かげやま・あさこ)
ジャーナリスト。「Marines Go Home2005年版から、藤本監督と二人三脚の映画作り。藤本監督のアメリカ3作品と原発震災・ニューズリールのインタビュアー&プロデューサー。

撮影●栗原良介(くりはら・りょうすけ)
「アメリカばんざい-crazy as usual」、「One Shot One Kill」、「アメリカ-戦争する国の人びと」以来、藤本作品に欠かせないカメラマン。

0 件のコメント: